奄美島人の訃報

奄美の島人、島尾みほさんが亡くなられたらしい。合掌。
finalvenさんとこで知る。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070328/1175075527
■ああ、島尾ミホさんが死んだ
↓実はまだ本読んでない。島尾さん一家の本。

死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

思いやりの深かった妻が、夫の「情事」のために突然神経に異常を来たした。狂気のとりことなって憑かれたように夫の過去をあばきたてる妻、ひたすら詫び、許しを求める夫。日常の平穏な刻は止まり、現実は砕け散る。狂乱の果てに妻はどこへ行くのか??ぎりぎりまで追いつめられた夫と妻の姿を生々しく描き、夫婦の絆とは何か、愛とは何かを底の底まで見据えた凄絶な人間記録。
海辺の生と死 (中公文庫)

海辺の生と死 (中公文庫)

幼い日、夜ごと、子守歌のように、母がきかせてくれた奄美の昔話。南の離れ島の暮しや風物。慕わしい父と母のこと。?記憶の奥に刻まれた幼時の思い出と特攻隊長として島に駐屯した夫島尾敏雄との出会いなどを、ひたむきな眼差しで、心のままに綴る。第15回田村俊子賞受賞作。
星の棲む島

星の棲む島

戦争の記憶が鮮明に残り,アメリカの配給物資があふれ,手つかずの自然に囲まれていた奄美.シンゾ少年は,「死の棘」に満ちた家を飛び出し,修道士の教えに背き,悪ガキたちと禁断の果実を貪っていた.価値観が揺らいで自信を失った大人に反乱を企て,放火,こそ泥,ノゾキ,憧れにも似た恋の芽生え.少年少女群像を軽妙に描いた回想掌篇集.
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うちの島を含む奄美群島アメリカの占領下に一時期あって、それはそれは過酷だったという話は島の伝承的によく聞く。しかし島の人に訊ねると「密航したり、密輸したり、物資もそんな風に運んで来たからそんなに大変じゃなかったよ」という。密航?密輸?と驚くも、どうも島同士の行き来はザルでお目こぼし状態ではあったらしい。沖縄が取り残された沖縄返還前の時代もうちの島から見える沖縄へ船漕いでいった話というのはよく聞く。記録にはアメリカが沖縄以外のインフラ整備に全然興味がなく、教育関連も放置プレイ。子供の教科書がなくて難渋したので日本まで密航して取りに行ったなど色々あったらしいし、電気が来たのが昭和三十年代。しかし島はそれ以前が大層過酷だったから、さほど大変だと思わなかったのかもしれない。
島の人に聞いても、昔はのんびりしていてよかったなどという。終戦あたりはアメリカさんの上陸に備え皆、海岸の洞窟に隠れたとかそういう話も今は昔。

読売の訃報記事

「死の棘」モデル・島尾ミホさん、死去
 作家、島尾敏雄(1917〜86年)の妻で、代表作「死の棘(とげ)」のモデルになった島尾ミホ(しまお・みほ)さんが25日夜、脳内出血のため鹿児島県奄美市の自宅で亡くなった。

 87歳だった。告別式の日程などは未定。喪主は長男で写真家の伸三さん。

 鹿児島県生まれ。太平洋戦争中、同県加計呂麻(かけろま)島で小学校教員をしていた時、海軍の特攻隊長として赴任した島尾氏と出会い、終戦の翌年結婚した。

 島尾氏が60年に発表した「死の棘」は、夫が愛人を作ったため、嫉妬(しっと)と憎悪に狂う妻の姿を赤裸々に描いた私小説的な作品で、極限の愛の物語としてベストセラーとなり、映画化もされた。夫の死後、ミホさんは終生喪服を着続けたことでも知られる。また、作家としても活躍し、短編集「海辺の生と死」で田村俊子賞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070328i307.htm

そういえば島の年配の女性にはこういう強さを持った方が多い。旦那が大層無茶苦茶だったりするのを、じっと我慢しその破天荒を支えきり、そして先に逝った旦那の想い出を語るその視線には亡き夫への愛情がある。島母もそんな一人だ。夫の描いた夢を共に歩み、事実上彼女が実現させたといってもいい。島固有の文化でもある酒文化にどっぷりで身体を壊し、規格外の生き様をかけ抜け亡くなった夫の見ていた夢を未だに語るその言葉は大層美しい。彼女の苦労は並大抵のものではなかったと島の人はいうが、島母にとってそれは今は昔の物語。夢は残って今も母と子供たちで元気に受け継いでいる。