教育問題の国会中継

先日、なにげに我が家のテレビで国会中継が流れていた。ナニも考えずに聞いていたけど妙なもにょり観を覚えた。
教育基本法」がらみで野党側の答弁にそれぞれ内閣側が応答する所で、野党のねちっこい揚げ足取りとしか思えぬやり方が、まるでいじめの光景に見えて仕方がなかった。いやもう、大人がこんな議論以前のやり方をしていては、子供のいじめが無くならないのも仕方がない。とか、風が吹いたら桶屋が儲かる的な考えが起きてしまいましたよ。

個人的には教育(特に初等教育や公教育)に特定のイデオロギーや思想が入り込むのは嫌で、それは右だろうが左だろうが嫌なものは嫌。ということは先日述べた。だから教育者が教育の現場で「日の丸君が代反対」なんてやってるのも嫌だったし「愛国心」とやらも嫌だと述べてきた。
ですからここは一発、野党の突っ込みに期待したいのに何故か揚げ足取り的な議論に終始していたのでこれではナニも改正に向かないんではないかと。あまりに幼い方法論に、議員の知能指数の限界を見たというか。応じる与党側の答弁もしょうもないなと思ったが、それにしても突っ込み陣営のやり方は酷すぎ。
だから野党は野党に甘んじるしかない限界。いじめにしか見えないようなつまらない突込みではない言論を期待したかったですね。
とにかく脳みそが足りなさそうだが口だけは一著前なアナウンサーとか著名度だけは確かにあるタレントやスポーツ選手なんぞ議員にしようって時点で右も左も駄目なのでしょう。

以前も文部科学省の介入が異常に増えてきたという話をしたが、政府が必要以上にその権力を教育の現場に持ち込もうとしている方向性には反対。右も左も教育を支配したいという野心があるのだろうが。だから国会の答弁もどっちもどっちな人々の議論で駄目になるのも仕方がないのかも知れぬ。

更にマスメディアの論説も教育機関に甘えすぎというか期待しすぎというか、期待してもいいが、期待の方向がおかしいような印象を受ける。親たちも教育機関に必要以上のことを求めすぎている。

とにかく自由学芸の場は自由であるが故に長い目で見るならば国富に繋がると思うのだけど。

◆◆教育の話
私が子供の頃、遊んでいたおもちゃはあまり普通といえなかった。
何故か実験道具が一そろいあった。アルコールランプにフラスコ、試験管、ビーカー、リトマス試験紙。それで意味不明な実験をよくしていた。顕微鏡にプレパラートもあった。ありんこを顕微鏡で見たり、パンに生えた黴を見たりしていた。面白かった。
ミニチュアの人体模型もあった。風貌は至極スプラッタで、透明な人形で血管やらリンパが通っているのでよく見ると実は怖いのだけどあまり怖いと思っていなかった。臓器がとれるようになっていて、肺やら心臓やら腸やら取り出して遊んでいた。はたから見ると不気味である。我が家の「お人形さん遊び」は「臓物取り出し遊び」だ。
辞典類も沢山あって、あとは牧野富太郎の全集とか、動物記などもあったので、野山で採集してきた物体を調べる癖がついた。昆虫採集が嵩じておままごとに団子虫を大量に取ったのを持っていって友達をパニックに陥れたことがある。正直すまんかった。あとはアリの女王を探す為にものすごく深い穴を掘って大人に怒られた。

トイレには世界地図が貼ってあった。各国家の首都を当てるクイズをしていた。ガキはえてしてそういうものだったりする。知っていることが自慢なんだよね。
日本地図のパズルもあって誰が早く日本地図を完成させるのか競ったものだが、お陰で各都道府県を形で覚えてしまった。高知と岐阜の形は面白いと思った。長野はつまらない形だと思った。東京や神奈川が小さいのは不満だった。北海道がでっかいのはずるいと思っていた。そういえば沖縄はまだなかった。

今、思えば親は学校教育に期待していなかったかもしれない。