ベネディクト16世の講義文

イスラム武装グループがついにテロしちゃうぞ宣言をしてしまったようです。

▼法王発言に報復テロ予告、アル・カーイダ武装勢力
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060918it13.htm
【カイロ=柳沢亨之】AFP通信によると、イラクの国際テロ組織アル・カーイダ武装勢力「アンサール・スンナ」を名乗る集団が18日、ローマ法王ベネディクト16世がイスラム教に侮辱的とされる発言をした問題について、ウェブサイト上に声明を流し、「ローマの城壁を破壊する日は近い」と報復テロを予告した。

 また、「ムジャヒディン諮問評議会」を名乗る集団も18日、ネット上に声明を発表し、「法王発言はブッシュの十字軍に動員をかけたもの」と非難した。同集団は、6月に殺害されたヨルダン人テロリスト、ザルカウィ容疑者配下の「イラクの聖戦アル・カーイダ組織」などの武装勢力で構成される。
(2006年9月18日21時27分 読売新聞)

まぁ元々、彼らのテロル対象にはヴァチカンが含まれていたわけで今更驚かないよ。とは思いますが。この一部のイスラム過激派はローマカトリック教会を敵対組織と看做している。というかキリスト教は全部一つだと思い込んでいるとか、西洋の政教分離化された現状を知らないというか、むしろ政と教はすこぶる仲が悪く対立しているとか、そういう事情を知らない。そういうわけでイスラム側に同情的だったヴァチカンを「敵」としてしまう脳には困ったものです。
とはいえ日本の報道とか多くのネット上の見解を見てると日本人もキリスト教を全部一緒くたにしてみてるんでイスラムのことは批判できんよね。ブッシュの所業責任をローマ教皇に求めてどうする?ありゃプロテスタント原理主義者だぞ。彼の所属する教派では「カトリックキリスト教にあらず」などという人までいるからね。(もっともアメリカでは一部の保守的カトリックがブッシュ側について目立っているらしいんでこれまた複雑)


で、ど顰蹙を世の中の人に買い、尚且つイスラムを怒らせたといわれる問題の講義についてです。それについてeireneさんが読後の所感を紹介しておられる。丹念に読んで問題を判りやすく抽出してくださった。
○eirene
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060918/p1
■[思想]ローマ教皇・ベネディクト16世の講演記録を読んでみた

横文字が苦手なわたくしにとってはありがたいエントリです。

問題となった失言の場は、カトリックの神学校という閉じられた場であり、互いに前提の知識を共有する人々の間であった。神学校では絶えず「信仰と理性」という問題を突きつけられる。一信徒がのほほんと信仰している、或いはもう慣習化されて普段はそんなこと考えないで生きているのに対し彼らは霞のごとき神学を生涯をかけ探求している。ほぼなんらの教導職にある人々だろうとは思うが、宗教というものが理性を失うとき暴走しがちなものを、これら理性の場が抑えるというのを繰り返してきたのがキリスト教の歴史では度々見られる。

内容は表題の通り。「キリスト教信仰(faith)」と「理性(reason)」の緊密な関係を、聖書時代から現代に至るまで概観し、聴衆にキリスト教神学(theology)と研究共同体である大学(University)の使命について、一考を促している。

今日の社会で、アメリカにおけるプロテスタント宗教右派、或いはイスラム原理主義、もしくは靖国の問題も、これら「宗教」という存在との衝突が避けて通れなくなりつつある時代に、「理性」つまりロゴスが以前より重要になってきつつある。ベネディクト16世はそうしたアプローチで現代社会の問題への解決の糸口を模索してきたといっていい。彼が、これからの未来を担う神学生に対して、その「理性と信仰」と常に意識しろと、まぁそういう思いはあっただろう。

カトリックは開かれたものとなったが、しかし同時にカトリックとしてのアイディンテティというものが薄れつつあることは先日のエントリでも説明した。ヨーロッパに於いてそれは深刻なものとなっている。欧州のマスコミの宗教への侮蔑が若い人を宗教離れへと導いているのは日本と同様である。しかしその性で倫理基盤が揺らいでいる。同時にイスラム移民という宗教的思考の人々との交流がより重要になる中で自己の固有性を改めて意識すること、自身の固有性への誇りを取り戻すこと。それが重要だとベネディクト16世は考えていると思う。その固有性を理性によって認識しロゴス化すること。それは神学校であるなら当然のことだとは思う。


この講義が為されたレーゲンスブルグ大学派彼が教鞭をとったことがある大学でもあり、内輪的な意識ゆえの気安さがどこかにはあったかもしれない。いずれにせよ閉じられた空間でのアカデミックな手法による「引用」での語りは、一般市民向けではない。故に誤解を受けやすい。

この閉じられた場で語られた言葉をあたかも一般向けに公式に発した言葉として扱ったマスコミ。言葉尻を捉えれば確かに批判されて仕方ないものとはいえ、そこにある種の意図的なものを感じるのはうがちすぎか?隙あらばベネ16を失脚させたいと思う勢力があるのか。もしくはカトリック陣営をイスラムから離したい意図があるのか?欧米の報道、また日本における報道のこのような偏りを鑑みるに寧ろそういう動きを警戒したい。

教皇は、もともとはアウグスティヌス研究から出発したカトリック神学者だ。聖書のほかに『告白』(ASIN:4003380517)が枕頭の書というタイム誌の報道もあった。そうした彼の個性が講演には反映しており、教皇ギリシャ哲学の教養を有する人々が、聖書の信仰を理性的に反省し、定式化した古代・中世のキリスト教を高く評価している。宗教改革以降、近現代のキリスト教に対する評価は、かなり辛い。

 はっきりと書かれていないが、キリスト教会における聖書原理主義の立場は、教皇の立場からすると、もってのほかであろう。聖書の言葉を鵜呑みにするばかりで、よく考えないキリスト教徒やキリスト教会に対する批判としても、講演テクストは読める。

ドイツといえばルター派であるが、ルターはアウグスチノ会の人で聖書に立ち返れと宗教改革した人だが、べね16はどーもルターと仲がよさそうな思考だ。カトリックエバンジェリストという評価が合っているかもしれない。常にギリシャ語の聖書をそばに置き自由自在に聖書の言葉を引用する。原典主義的な人だ。プロテスタントエヴァンジェリストに評価されたというのは当然だろう。しかし霊感逐語説には距離を置く。いわゆる根本主義者(ブッシュなんかのいるトコね)の逐語的な読み方には客観性がないと考えるのであろう。常にテキストを相対化しつつ再び自分のものとする確信的なエヴァンジエリストではあると思う。この辺りに於いてはプロテスタントの聖書学者にスタンスが近い*)なと思う。(ネット上でもよく見かけるけど、この逐語的な読み方をする人と、聖書学的な読み方をする人は仲が悪い)

*)但しブルトマン的な、というかブルトマンよりも超えて聖書から神秘的な要素を排除するような読み方に対しても批判的ではあろう。その点に於いて教皇は、逐語的なプロテスタントと急進的なプロテスタントどちらをも批判してはいるだろう。

またカトリックにおける近代の行き過ぎた神秘主義傾向。ことに前教皇の残した遺産としての「マリア信仰」と評されても仕方がないようなものについては微妙に距離を置いている印象を受ける。その点で反宗教改革的な硬直したカトリックの信仰への批判がある。ベネディクト16世は「信仰」という側面に於いては神秘と理性が一致している正教をもっとも評価しているようだが、なんとなくわかる気もする。

その文脈に従えばイスラムの、信仰と理性のバランスの取れた考えはべね16にとって馴染み深いものではあるだろう。西欧の世俗のリベラルよりずっとイスラムに親近感を持つだろうと思われる。イスラムは日本で伝えられる像では単なる狂信者の姿しか浮かんでこないが、イスラム史を少し読むと寧ろキリスト教以上に高度に発達した理性と信仰を保持していることを知ることになる。(これがなかなか奥が深い・・・手出しできません)だからアルカイーダみたいな単純化した煽りするヤツにはムカつくだろうね。

そもそも、ベネディクト16世に限らないが、知的に誠実たらんとする現代のキリスト教学者が、イスラムのような伝統宗教を暴力的とか邪悪と決めつけることが、果たしてあるのだろうか。20世紀後半以降、ヴァチカンも現代カトリック神学の趨勢も、イスラムを含む諸宗教との対話が公式路線である。

このようなスタンスは日本ではあまり報道が為されない。キリスト教への侮蔑は酷いものだとよく思うが。まぁ侮蔑されても仕方ないこともすこぶる多いが、評価されてもいいことも多いのだけどね。
カトリックの多くの無名の働き手が第三世界で昔から黙々と活動をしている。マザー・テレサだけではない。アフリカや南米、様々な世界の電気も通わぬ奥地に教育や医療を伝えにいく人々。しかしそういう人々もひとたび政治的対立に巻き込まれると簡単に命を落とす。それでもそういう地へ赴く。信仰によって支えられるがゆえに。そしてどれだけ多くの修道女、修道士、司祭が命を落としたのか。

ソマリアで修道女ら2人射殺 背景に聖戦批判かhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060917-00000076-mai-int

 【ヨハネスブルク白戸圭一】ソマリアからの報道によると、イスラム原理主義勢力「イスラム法廷連合」が支配する首都モガディシオで17日、イタリア人のカトリック修道女と護衛の男性の計2人が射殺された。ローマ法王ベネディクト16世の「聖戦」批判発言がイスラム世界で反発を招いており、法王発言への反発が背景にあるとの観測も出ている。
 ロイター通信によると、修道女はモガディシオ北部の小児病院で働いていた。背後から3発の銃撃を受けたとの情報もある。イスラム法廷連合の関係者はロイター通信に対して、法王発言に反発したイスラム原理主義者による犯行の可能性があるとの見方を示している。
毎日新聞) - 9月17日21時36分更新

今回の一件においてもこのような悲劇が起きてしまった。

このような暴力こそ、あってはならないというのが教皇のメッセージだったはずだ。それは理性が克服するものであり、我々もまた、これを以て「イスラムとはなんと暴力的な・・・」という見解に陥らないよう留意すべきであるだろう。

つまりまぁ我々、つまりカトリックな方々は、「イスラムは暴力的で、俺達の敵だ」などというようなアホ思考をするなということ。そういう御馬鹿には陥らないようにしましょうね。