ベネディクト16世の暴走報道

最近のニュースはバイアスかかりまくりでムカつくことが多い。最近
では坂東眞砂子に関するネットニュースでいつの間にか「反日作家」のレッテルを貼られていたことだ。元文を読んだ記者のバイアスが入りまくりのニュースがいつの間にか事実となってネットな人々に受け止められていたので驚いた。

で、今日はこれ。

イスラムは「邪悪」=ローマ法王発言に怒り広がる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060915-00000114-jij-int

ニューデリー15日時事】ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。2001年9月の米同時テロ以来、欧米の一部にはイスラムの教義そのものに暴力の原因を求める議論があり、イスラム教徒の神経を逆なでしてきた。パキスタン議会は15日、法王に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で採択した。
 ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。 
時事通信) - 9月16日1時1分更新

まぁ、実はこのニュース読んで、「また、マスゴミがヴァチカンたたきを喜んでしているやね。」「宗教に無知な日本のマスコミは脳みそ短絡的でどうしようもないやね」という以上の感想はなかったんじゃが、何故かネットで注目されているらしい。

で、教皇ベネディクト16世の思想や働きを知るものならこのニュースには首を傾げるだろう。そんな馬鹿な?とかね。
リベラルマスコミがムハンマド問題でイスラムとちゃんばらやっていた時、イスラム側についたあのヴァチカンが?パレスチナ側にそこはかとなく同情的なあのヴァチカンが?アメリカのブッシュ馬鹿の鼻息荒い様子に眉をしかめているあのヴァチカンが????ナニより諸宗教の対話を優先問題として動き回っているベネ16の言葉とは思えない。こりゃおかしくないか???

流石、eireneさんも疑問に思われたらしく、すかさず事実関係を追っておられる。

http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060915/p1

どうも時事通信の記事における表現といい、取り上げ方といい粗雑もいいとこなようだ。何処から得た情報か知れぬがバイアスかかりまくった伝言ゲームで、いつの間にか「教皇イスラム教そのものを批判をした」的なものに成り果ててしまったようだ。


既にバチカンのサイトでも全文がアップされているようだが、まぁ今日になって教皇が謝罪したってんだから、どこかで誤解を招くような物言いをしてしまったことは事実だろう。引用されたビザンツ皇帝の言葉も微妙なものだし、いくら歴史背景がどうとかいってもなぁ。とはいえこれがどのような場所でどのような人々に対し語られたのか?という環境でもその意味は変化するだろうが。

実際、イスラムなテロの人々の暴力に継ぐ暴力のエンドレスのあり方は、イスラエルがどうこうということは脇に置いたとしても、やはり「どうにかしてくれよ」って本音は皆にあると思う。ましてや宗教を盾に暴力行為をするってのはブッシュ&アメリカン原理主義馬鹿にも言いたいけど、ごくごく一部のイスラム原理主義の方々にも言いたい。
で、キリスト教も、イスラムも。ユダヤも、或いはどんな主義であれ、暴力で解決してやろうってのはどうか?という意味でベネ16は言ったつもりだったのかもしれないが、イスラムさんたちは今とってもナーバスなんで「空気嫁」といわれても仕方なかっただろうとは思いますが。

しかしだ・・・・

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/797211.html

ここのコメント欄を読んで、やれやれと思ってしまいましたです。
「前教皇は偉大であったが、現教皇は・・・」
という意見はよく聞く。カトリック信者にも多い。なんせリベラルな人々は倫理面での厳しさを以て「このスターウォーズの悪役皇帝顔の教皇はまったく使えねーな」と思っておるようだ。だからヨーロッパのマスコミはこの教皇を隙あらば批判しようとてぐすね引いている。

実はベネディクト16世というのはカトリック教会が今日的に開かれた教会となるための歴史的改革、つまり第二バチカン公会議の立役者の一人でもあった。彼の神学は当時大変に前衛的であり、多くの保守派からリベラル過ぎると批判されたようだが、彼の神学を評価したのはプロテスタント神学者達だった。昔は激しくリベラルな位置にあり、現代「保守」などとレッテル貼られているのが不思議なほどだ。実はそれくらいカトリック教会というのが変容を遂げたということでもあるのだが、それはカトリックの固有性、或いは伝統を喪失していくことでもあり、加速度ついた変化への危惧があちこちでささやかれてもいる。曰く「プロテスタント化しようとしているのではないか?」「他宗教に迎合するあまりアイディンテティを失いつつあるのではないか?」「世俗的になりすぎているのではないか?」「聖なるものを喪失しつつあるのではないか?」そうした不安は漠然と信徒達の間に存在している。カトリック教会が何処へ行こうとしているのか誰ももわからず、普遍(カトリック)は何処にあるのか?と問う声も多い。

ベネディクト16世カトリックという宗教の固有性を大切にすることを旨としている。それは単なる伝統回帰、ノスタルジーではない。聖書の教えに基づく基本的な理念をもう一度しっかりと見つめなおそうと信徒達に問いかける。自分達が大切にしてきたものはナニか>その再発見をすること。それはカトリックという「個」の確認行為である。しかしその信者達に向けられる「カトリックの固有性の尊重」のメッセージを「排他的」と考える人々が多いのには驚かされる。ただ、このスタンスは例えばカール・ラーナーのような包括主義とは相容れない側面もある。故にベネ16の思想はカトリックという閉じられた世界のなかに於いては厳しい側面を持っているのは事実ではある。それを評して原理主義というなら確かにその通りではある。

しかしベネディクト16世は他宗教の固有性をも尊重する。互いに迎合せずそれぞれの個を活かす事の出来る関係性を良しとしている。個が自立した世界とはそういうものだと思う。彼は他宗教との対話を積極的に行ってきた。背景には、経典を共にする宗教、ユダヤイスラムとの一致できる箇所と固有性という要素を模索し、対立ではなく和解の方向を宗教という立場から出来ないものかと、「諸宗教の対話」を前教皇からの課題の中でとりわけ重要視してきたようだ。

そんな中で起きたこの騒ぎ。揚げ足取りされても仕方のない発言だったかもしれない。マスコミ、イスラム、リベラルという対立的立場に囲まれた四面楚歌なローマ教皇としてはうかつといえばうかつ。

妄想してしまうならこれらの背景には、ローマ・カトリックという第三者的な立場をイスラム圏対キリスト圏という構造に持ち込みたいなんらの意図があるんじゃあるまいか?とかんぐりたくもなる。ローマ・カトリックの版図はイスラム圏に匹敵する。単純な二極化へと世界の勢力地図を描きたい何者かがいるのかもしれない。或いはイスラム側がカトリックをも仮想的とみなしているだけに過ぎないかもしれない。現にイスラムの過激派はそういう単純化された世界を頭に描いているようだ。
しかしまぁ、アメリカでは何故か保守派のカトリックがブッシュ陣営にいるってぇ話だからねぇ。アメリカのカトリックはかなり特殊ではあると思うけど。なんせ911を受けてアメリカがイラクアフガニスタンに打って出るとき、教皇は戦争への懸念を表明していたのに対しアメリカの司教団はバチカンの意向を無視していた記憶がある。

ヨーロッパに於いても、リベラルとヴァチカンは対立構造であり、また南米に於いても然りで、今の南米は左派政権が教会権力を押さえ込もうという方向性があるようだ。いずれにしても各国でローマ・カトリックの立場はばらばらであり、イスラム圏の人々のごとき一致する動きなど見せるはずもないのだが。というかカトリックたぁ勝手連の集まりで内部でも幅広すぎて収拾がつかない有様。

とにかく、マスコミという分野に於いて、短絡的に「イスラムキリスト教」という単純構造に落とし込みたがるのはなんとかしてほしいものだ。地図はもっと複雑であったりするわけであるが、実はイスラムの識者がムカついてんのは実はマスコミに象徴される宗教を軽視するようなリベラル近代主義だったりすると思うのだけどね。