カルチョ逍遥

まぁ、球転がしというと、昔イタリアにだらだらといた頃、夜は暇なのでよくテレビなんぞをつけた。当然イタリア人の男の脳味噌の40パーセントは球転がしで占められているので(残る40パーセントは女の事で、10パーセントがマンジャーレ/食うこと、7パーセントがバカンスのことで、仕事は1パーセントくらいか)テレビの内容はおのずとカルッチョ関連が多い。
或る時ぼやっとつけたら朝まで生テレビみたいな討論番組をやっていた。大の男がモノすごく真剣に熱く語っている。「いるぷろちぇっそ」とかナンとかいうような番組で、よくよく見ると要するにカルッチョにおける本日のプレイは妥当か?否か?口角泡をとばして議論しているのだ。中田のプレイなども俎上に上がっていた。メガネをかけたカルッチョオタな男が右手を軽く握って上下に動かすというすこぶる下品な手つきで熱く語っている様が映し出されなんともイタリアってぇ処はすごいところだと思いましたよ。


聞けば南米や中南米ではサッカーというのは或る種の霊的な、哲学的な存在でもあるそうで、単なる第三世界におけるサクセスストーリーという問題ではない、サッカーをすることの意義みたいなものがあるらしい。こうなると馬鹿に出来ない。脳味噌筋肉馬鹿。などと揶揄してはいけないような人間の尊厳にすら関わるようなそういうものみたいだ。南米や中南米の人々のとってのサッカーは神聖な領域にまで昇華しているようでもある。だからあれほどまでに強いのかもしれない。
第三世界の人々にとっての生きる糧のようなものか?教会はよく教会の敷地を解放して貧しい子供たちのサッカーチームを援護してきたりしたらしい。イタリアではドン・ボスコという人がそういう子供たちの面倒をみてきたそうだ。貧しい子供たちを集めサッカーチームを作ったらしいよ。で、教会リーグなんぞで鍛えた子供たちが育ち、スタープレイヤーとなる。そういう時の教会というのは人々がほんとに必要とするものはなにかを熟知しているんだろうなぁと感心する。


日本の場合、そういうサッカーをしたい子供たちのための空き地がない。公園からは追い出されるとか、色々な不満を聞く。子供は元気の外でかけ回って遊ぶのが仕事だと思うのだけど、今の世の中ではそうもいかない。島では空き地など腐るほどあるからサッカーでもなんでも野蛮に遊ぶことが出来るし、変な大人もいないので安心して外に出せる。やはり子供の頃からの鍛練は大切だろうし、都会でも子供たちの遊べる空間があるといいのに。そうすれば日本のチームにもどんどんよい選手が産まれるだろうね。島(田舎とかも)はその点、有利だな。野蛮なサッカーをして鍛えて欲しいですね。