スローライフ

島で台風が来ると、ライフラインが止まる。卵やら牛乳、ハム、肉類やらの生鮮食品、加工食品が来ないのでスーパーの棚からモノが消える。昨年は立て続けに台風が来たので一週間も船が欠航状態なんて時もあり、スーパーの棚は棚卸し状態。みごとに空っぽだった。
昨年、沖縄のスローライフ協会(「スローフード協会」だったかもしれない。忘れた。)の方がうちに取材に来た。琉球圏で暮らしている人の取材だそうで、わたくしはあざみ野にいても島にいてもたいして変わりのない生活をしているので、あまり役に立たなかったと思う。ただ建造物の立地条件はまさにスローライフな生活を実現するかもしれないというので、写真とか撮って帰っていきましたよ。なんせ敷地の一部は海岸線で、庭で釣りが出来るのだ。私は釣りなどしないので魚はスーパーで買うけどね。
この取材のときに以前からなにかとお世話になっているホテルのおば様が「差し入れ」として浜で採れたイセエビを2匹も持ってきてくださった。みごとなイセエビである。生きてるし。モデルの仕事を終えたイセエビをスローライフ協会の会長というおっさんは早速、スローライフ能力を発揮してさばいてくれた。庭にはやはりこのおっさんが目をつけた、スローフードな植物が生えていて、それを採集して薬味にしていたよ。おっさん「これぞスローフードだ」とご満悦。しかし、イセエビを愉しむために供出したスプマンテは東京の友人からの差し入れだ。ぜんぜんスローライフではないよ。おっさん。資本主義の恩恵によってイタリアからはるばるやってきたスプマンテである。スローライフは現地主義なので、やはりここは与論の地酒、黒糖焼酎「有泉」の登場を待ちたいところだけど、沖縄から持ってきた古酒に移行してしまった。ぜんぜんスローライフがなっちゃないぞ。
何でもこのスローライフスローフードとか言うシロモノはイタリア辺りから来たらしい。南蛮人の輸入物だな!確かにイタリアに行くと「スローライフな旅でスローフードを満喫する。」ってな旅が出来るよ。アグリトゥーリズモ泊まり歩きなどしていると満喫できる。門限を我慢するならど田舎の修道院泊まり歩きでも出来そうである。でも、こりゃあ旅だからね。非日常であることが前提。非日常なら実現はいつだって可能だ。
そもそも島だけで自給自足などできるわけがない。そんなものは幻想だ。生活の一部は確かに自給できる。スーパーに並んでいる魚は日替わりで変わる。その時水揚げされた魚が並ぶ為に欲しいときにあるとは限らない。それ以外のあらゆるものは本土など島外からやってくる。しかも離島なので時間がかかるために、賞味期限ぎりぎりの食品が並んでいる。今日が賞味期限とかいうのまである始末。だから腐ってるか?腐ってないか?食えるか?食えないか?という基準で食材を利用してます。賞味期限なんか見ません。それでも島外から来る食材は貴重だ。第一米なんか自給できない。
都会は確かに便利だ。島のように、あまりにもモノがない、流通速度が遅いという生活は嫌でも「スローライフ」となってしまうが、意識して、好んでそうしているわけではない。仕方がないのだ。そしてそのリスクは例えば救急医療といった場面などで島の人が苦労していたり、本土から来るものの値段がなんとなく高かったり、(医薬品が高いよ。大黒ドラッグもマツモトキヨシもないから)、新聞は朝刊が夕方来るのがデフォルトで、飛行機が止まるとまとめて後日配達される。「夕刊」はそもそも存在しない。週刊誌も遅れて来る。週刊新潮も文春も、皆が話題にしているときはまだ先週号を読んでいるのでわけが分からない。モノを買うのも選択肢がない。「そこにあるそれ」を買うしかない。ものがないことのほうが多いので諦めがよくないといけない。「島嶼部は除く」などと書かれたサービスを享受出来ないし、デジタル放送が云々されている時代でもそれを夢見てはいけない。島の「スローライフ」はそういうリスクの裏返しだ。
まぁ、まじに島の人はほんとに「スロー」で、時間の約束単位は「午前中」とかそんな感じ。もっとも小さい島なので居所はすぐに分かるのでほんとに急ぎなら捉まえることは容易いのだが、そうでないとすごく待たされたりする。こっちもそれを見越して自分のことをしていたりするので丁度いい。正月に頼んだ工事がまだ実現していない。仕方ないので家を空ける前に自分で応急処理をしてしまった。ものすごく強力に催促をしないと実現しない。
こんな有様なので時間に正確できちんと計画的に物事が成り立たないと駄目な人はまず無理だと思う。とにかく成り行きで生きることが可能ないいかげんな精神の人間でないと島での「スローライフ」は不可能である。
そして実のところそれすら本土のあらゆる恩恵と密接でありほんとの意味での自給自足な生活を実現できるわけではない。もし完全な島での自給自足をと思うなら、「蘇鉄地獄」と呼ばれた飢饉すら想定内におさめる覚悟が必要だ。飢饉なんかいやだよ。誰でも嫌だよね。だから「スローライフ」はやはり都市生活者のひとときの夢にしか過ぎないと思う。ただその「ひとときの夢」というのは実は歴史が長い。ローマ人も、フィレンツェルネッサンス人も「田園生活」を夢見ていた。アンリ・ルソーは幻想の南国を描き続けた。「スローライフ」は永遠の都市生活者の夢でもあるようだ。

モスキート・コースト

モスキート・コースト

ポール・セローという作家はすごく意地悪だ。人間観察がどことはなしに意地悪だ。だから面白い。皮肉に満ち溢れた設定、シニカルな登場人物。そういう魅力ある小説を沢山書いている。この作品はその中でも優れた一冊だと思う。
文明から逃げ出した「スローライフな生活に憧れ」な男がジャングルで、結局自らが逃げ出した文明を再構築する皮肉。面白い。