やっぱりきな臭い東シナ会
台風が横を通っているらしい。とはいえ海は少し騒いでいる程度。沖を定期船がゆっくりと滑っていく。
この東シナ海はしかし、時々騒ぐ。対岸は伊平屋島、その向うには上海。以前のエントリでも書いたが、ここは前線らしいのだ。
第1部 講演「戦後沖縄の挑戦」(5) 講師:大田昌秀・前沖縄県知事 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4053/1999-after-1e.html 【30度線の南北】 北緯30度という分離線は、奄美大島の北方の線で、それ以南となると、鹿児島県管轄下の奄美大島も全部 含まれることを意味します。このように戦火が波及してない地域を諮意的に切り離せるのであれば、北緯 35度とか40度の線も理論上は引けることにもなりそうです。では、なぜ米軍は、北緯30度の線で分離 したのでしょうか。 私は、この点を究明するのにほぼ5カ年の年月を要しました。ここで詳しくふれることはできませんが、 アチソン米国務長官の議会での証言によると、要するに北緯30度の線は、「大和民族と琉球民族との境目」 の線というわけであります。(これを私なりに解釈しますと、琉球王国時代の領土地域ということになります。 また、いわゆる大和(日本)方言と琉球方言との区分の線でもあります。)
沖縄県知事だし。しかも太田さんだし。ものの見方は割り引いてみないといけません。
それでも以下の記述には少し考えさせられます。
この観点から北緯30度線を見ていくと、戦時中、北緯30度以北は、「皇土」と称されていました。阿南 惟幾陸軍大臣は、沖縄戦で死闘が始まった頃、『決戦訓』を発し、「皇軍将兵は、皇土を死守すべし。皇土 は、天皇しまし、神霊鎮まり給うの地なり」と述べていますが、これからすると沖縄は、「皇土でない地」 ということになります。事実、北緯30度以北に駐留の軍は、「本土防衛軍」と呼ばれ、それ以南の軍は、 南西諸島防衛軍として区別されていました。この点と関連して言えば、米軍の場合も、本土防衛軍の分担区 を陸軍のマッカーサー元帥が管轄し、南西諸島防衛軍の分担区を海軍のニミッツ元帥が責任を負っていまし た。言い換えますと、天皇の在します皇土は、日本国固有の領土で不可分なのに対し、北緯30度以南の沖 縄は、固有の領土には含まれない、いつでも切り離すことができる領域ということになります。
確かに歴史的に、琉球弧と呼ばれる奄美、沖縄といった島々は独立した文化圏であり、「大和」とは異なっています。戦時下に於いて軍人さん達は「皇土」ではないが、重要な軍事拠点として、奄美、琉球の島々を認識していたようです。その為にたとえば敵性国の宗教であるカトリック教会は奄美で過酷な迫害に遭っています。
内容(「MARC」データベースより)
- 作者: 宮下正昭
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1933年頃から太平洋戦争が激しくなるころまで、奄美大島はカトリック迫害の大きな波にのまれ、4000人のカトリック信者が強制改宗させられた。大衆を信者排撃に扇動したのは誰か…。地方紙記者が真相に迫る。
疑わしき存在は排除する。陸軍はそう考え、過酷な信者への迫害を奄美をはじめとしたこれらの島々で行いました。疑心暗鬼に駆られてしまう状況は無理もないとはいえ、迫害に至る過程での軍部による島民への煽り、分裂をもたらす方法や、当時の新聞社の反カトリック宣伝など、その光景は恐ろしいものがあります。(ここで迫害された教会はフランシスコ会の担当でした)多くのものが島を追われ、中には亡くなった方もいます。
「前線である」というのは、こうした過酷な状況に晒される可能性があるということです。それは今私が住む環境を取巻く現実なのです。沖縄は軍事拠点として米軍に支配され続けているのもその性なのですね。
さて、しばらくの米軍の統治下で、切実に日本に帰りたがったのはこれらの島々の人々でした。アメリカの統治は過酷であり、子供たちは満足に教育も受けられず、一刻も早い日本への帰順を切実に願いました。特に私の住む与論島ははじめの政策では切り捨てられ、沖縄と共にしばらくは統治下にあるはずであったのを、島の人々が何とかして日本に戻りたいと、奄美群島の人々と密航し、本土にまで訴えにいきました。そして本土への返還が決まった時、奄美群島の人々は心から喜んだのです。これらのエピソードはいくら文化圏が違うとは言ってもやはり「日本」への郷愁をこれらの島々の人が持っていたことの証明です。そして沖縄と奄美との温度差がこの返還の期日によって微妙に出始めました。もっとも沖縄本島は琉球王朝の中心であり、奄美は琉球の被支配者でもあったわけですから、「琉球」への帰属意識は薄かっただろうと思われます。与論にも琉球王と戦う民話などが多く残っています。
さて、わたくしは戦争は嫌いですし、当然罪だと考えます。そして恒久的平和を望みます。しかし現実はどうでしょうか?隣国は不気味です。先日、中共の軍の一部が非常に「抗日」的であるという記事をちらっと紹介しました。「反日」ではなく「抗日」という言葉を用いていることも含め不気味です。そして、以下のブログに紹介された記事。ある中国人学者の書いた論文を翻訳しています。
中国による沖縄への領土的野心はあるか??─沖縄領有の根拠─ http://blogs.yahoo.co.jp/kei_shi347/archive/2005/06/04 琉球群島はもともと我が国のものだ 12世紀、琉球群島は南山、中山、北山の三国が現れて、琉球群島の南部、中部と北部に分かれていた。 1372年 明太祖と朱元璋が琉球中山王察度に勅書を下達した後に、琉球の北山、中山、南山の3人の王は すぐ明朝政府に朝貢を始めた。それから琉球は我が国の属領になった。 1416年から1429年に中山王尚 巴志は北山、南山を征服して、統一された琉球王国(第1尚氏王朝、考証に拠れば琉球王国の尚性は中国 皇帝の下賜したものである)を形成し、後は各国王ごとにすべて中央政府から冊封による任命を受けてい た。(中略) 1854年3月 Perryと愚かな日本(小日本)は《神奈川条約》を締結した。Perryは誤って琉球が愚かな日 本の領土だと思い、愚かな日本に琉球那覇を含む5つの港の開港を求めた。愚かな日本の交渉代表はPerryに、 琉球が遥か遠い国家であり、愚かな日本の天皇と政府には権利その港を開放する権利がないことを承知さ せた。1854年3月 Perryと愚かな日本との交渉が終わった後、琉球に急いで引き返して琉球王国の政府と 交渉し、最後に中英文で正式に那覇港を開港する条約を結んだ。1868年は、愚かな日本の明治維新である。 1875年、小さい日本は琉球国王に清の中央政府への朝貢を停止するように強制した。1879年、中日は琉 球問題について交渉を始め、中国側は琉球群島を3部分に分けることを提案した: 愚かな日本方向の庵美 大島に近いところは愚かな日本領土とする;琉球本島と近くの島は独立した琉球王国として存在する;南部の 先島群島は中国領土とする。愚かな日本の側では、琉球を二つに分けることを提案した:琉球本島と北方 の島は愚かな日本領土で、南部の先島群島は中国領土とする(交渉中には尖閣諸島は含まれていない。尖 閣諸島が琉球群島以外だったことがわかる)。 1945--1972年、米国の占領期、米国は琉球で異化政策(?)を実行した。1947年4月、国連《日本が以 前委任統治していた島嶼に関する協定》は、中国(訳者注:中華民国で中華人民共和国ではない)の琉球群 島と釣魚台を米国の"信託統治"に委ねた。1970年(訳者注:以下の記述は、「1951年サンフランシスコ講 和条約」と1971年「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」が混同されて いると思われる)、米日は中国(訳者注:中華民国ではなく中華人民共和国)に背いて《日米サンフランシ スコ講和条約》に調印し、中国の領土を取って取り引きをし、ひそかに受け渡しをして、琉球を釣魚台"施 政権"とともに愚かな日本に一転して与えた。中国(訳者注:中華民国ではなく中華人民共和国)は今日も いわゆる《日米サンフランシスコ講和条約》を承認していない。私達は歴史証拠の検討により、"琉球地位 未定論"を提出し、国際上で琉球群島帰属の論争を再開することができるのではないか。これは、日本によ る中国の東シナ海領有権と釣魚島に対する領土的野心を断ち切ることに対し、徹底的に領土領海問題を解決 して中国の西太平洋での長期戦略的地位を強固にすることに、同じくこの上ない助けがある 作者: czbe 2004年11月12日、 金曜日 20:18
尖閣諸島の帰属についての論文ですが、琉球を独立した存在と認識していることは判るでしょう。(そして尖閣諸島や、先島諸島は中国領土であったと記しています)ブログの筆者はこの文書の権利の欺瞞性を分析しています。しかし、琉球の帰属は本来的にどちらにも属さないというあやうさも教えてくれます。(琉球とは奄美から本島にかけての諸群島)特に最後に見られる「琉球群島の帰属の論争の再開」という一文は不気味です。
アジアウォッチゃーの「アジアの真実」さんでは以下のように中国の動きを捉えています。
・着々と進む中国の海洋軍事戦略 〜日本を囲む中国の軍艦の目的〜 http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/24343333.html 石垣島沖の、原子力潜水艦による領海侵犯事件以来おとなしくなっていた中国による日本海域の徹底調査活動が 再び活発化しているようです。影に隠れがちなこの問題ですが、これは靖国問題、歴史問題以上に、「今、差し 迫った危機」として非常に重要な問題です。 現在中国の海軍力、作戦力は日本、米国よりも劣っておりますが、中国は莫大な軍事投資でその差を埋めつつ あります。 海洋調査と言えば聞こえがいいですが、実際にやっていることは、日本周辺海域を制圧し、自由に軍事行動が 取れるようにする為の下準備です。
「アジアの真実」ブログではその中国様の野心計画が考察されています。激しく怖いのですが・・・。
そういう緊張の中で、ラムズフェルトの中国への不審感も為されているわけです。靖国どうたらといってる場合ではない。そして蝙蝠のごとく振る舞うあざとい智慧で生き延びて来た韓国はあきらかに中国側についている為にかなり最近は強気ですね。先日の排他的水域に見られる一連の韓国の態度は国際法に照らしてもおかしいわけですが、そのいきさつを怒りながらまとめている方がいました。
★日韓違法漁船問題に迫る。これが韓国という狂国の正体だ!Part1 http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/395c0ffa53eeeed2845d4afe36569c3a ★日韓違法漁船問題に迫る。これが韓国という狂国の正体だ!Part2 http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/5280797bb4e71777a46aef943d77adb3 ★日韓違法漁船問題に迫る。これが韓国という狂国の正体だ!Part3 http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/86085220fdfa8cc3f6c71b2db7c90bb3
映像をまじえながらカンカンに怒っていらっしゃいますが、この事件で怒らなかった日本人はほとんどいなかったと思います。韓流がどうたらなどといってる場合ではない。このような犯罪行為を正当化する手法がまかり通るならばそれは無法です。海賊を国家が保護するというのは中世〜前近代に逆戻りですね。
こうした一連の動きにはマジに警戒をしていないといけません。
・あからさまに軍備を拡張する北朝鮮と中国
・反日教育をし続ける中国と韓国
・示唆行為、威嚇行為をする中国と韓国
これらは、非常に好戦的態度であり、不気味さを禁じえません。
転じて日本では、九条の会だの軍備放棄だのという平和の主張が為されたりしています、好戦的で野心的な隣国とは非常に対照的です。しかし同時に政府はというと自衛隊の軍備をさりげなく徐々に強化していたり、憲法の見直しをしていたりします。こうした政府の態度を軍拡的だとする批判は当然出てきます。
前線に住むものとしての選択は、なんとしても守ってもらうか、万が一の状況で侵略されて諦めるかです。それがこの島々に住まう人の歴史でした。現代においては、目の前の海を日本の海上保安庁に守ってもらっている、アメリカの強大な軍隊に守ってもらっている状況ですが、中国の出方によってはそれでは間に合いませんし、アメリカは場合によっては当てに出来ない可能性もあります。そしてたとえば今の中国の政治の異常さ、人権無視の弾圧、言論封じの為に手段を問わない、チベットへの強制移住よる文化の抹殺。このような状況下に置かれればチベットのごときおそろしい状況になる可能性すらあるわけです。「日本」本土からの移住者で「大紀元時報」を愉しんでいる不穏分子であるカトリック教徒な私などは洗脳施設に連れていかれたりして・・・ぶるぶる。
・・・・となると軍備のバランスを意識し、あやうい均衡を保ち続けるしかないわけです。冷戦の時の緊張感が今ここに存在しているといってもいいでしょうね。ただの軍備放棄平和主義はもっとも不安感を我々にもたらします。強盗がうようよする街で鍵もかけず寝ろというようなもので、恐ろしいわけです。「九条」だの「平和〜〜」だの言ってる人々が実は工作員による内部からの手引きであるなどと妄想したくもなるわけです。
いやはや、こういうのは陰謀論的でトンでも馬鹿臭い妄想ですが、あの韓国の非常識を目にして、簡単に国際法など無視されると、トンでもな妄想もかなり膨らんでいくというものです。安穏と本土にいて生活していると肌でそういうことは感じられないですが、はっきりいって現状はほんとうに怖いですね。当然、こちらから仕掛けたり、攻撃的になるのはもっての他ですが、万が一の状況の為に備えているしかないのが今ある現実だと思います。杞憂に終ればそれは幸せですが、杞憂でない場合、真っ先に犠牲になるのが島々に住むものであるのです。
もっとも、こうした妄想による対策などより、やはり外交で何とかしっかりやっていただくのが一番なわけです。外交官も今まで通りのへたれ外交では済まない時代が来ているのです。利口に立ち回って欲しいです。
◆備えあれば憂いなし
武力攻撃に備え、隠岐全島民の本土避難…島根県が検討 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050607-00000113-yom-pol 島根県が、武力攻撃や大規模テロなどに備えた国民保護法に基づいて作成する「県国民保護計画」に、有事の際は 隠岐諸島の全島民約2万4000人の本土への避難を盛り込むよう検討していることが7日、わかった。 国の基本指針で、離島からの避難は「可能な限り、全住民の避難を視野に入れた体制を整備しておく」とされて いることから、全島民避難の検討が必要と判断した。 同諸島は本土の北約70キロにあり、主に大小4つの島、4町村からなる。本土への移送方法は、国とも協議して 数年がかりで決めるが、大量輸送が可能な船での避難が現実的という。 対馬や五島列島などを抱える長崎県も全島避難を視野にした計画作りを進めている。 (読売新聞) - 6月7日21時39分更新
竹島を抱える島根は既に危機感を感じています。同じ離島住民として隠岐島の人々の不安感を思うと辛いものがあります。
◆クラブ東シナ会
日中関係と議員について http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050608#p1
中国様とお友達の人々。