■日本は天皇の国か

昨日書いた天皇つながりでこんなニュースを見つけた。

武部自民幹事長:「日本は天皇の国」
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/photojournal/news/20050306k0000m010102000c.html
自民党武部勤幹事長は5日、北海道稚内市で講演し、自らの好きな言葉としてすべて
のものには中心があるという意味の「中心帰一」を挙げたうえで、「日本は天皇の国だ。
首座がはっきりしている」と述べた。

法律的にも日本の元首は天皇ですから、まぁそうなんでしょう。世界で最古のエンペラーを擁する国が日本。「日本は神の国」というようなことを言ったおっさんがいましたが、それよりは焦点がはっきりしているですね。
ですが、日本は本当に「天皇の国」なんでしょうか?象徴天皇として、本人達は何一つ自分の私的な意思というものは持てない。(個人的価値など表明すると大騒ぎになるし)国に捧げる一生を生まれたときから決められているという身分。全てを教会という共同体に捧げる教皇みたいだと。昨日もそういうようなことを書きました。まぁ、血筋つながりではありませんし、もう少し民主的に選ばれてはいますが、その存在が歴史的にも似ていると思いますね。ある時は世俗に利用され、ある時は世俗的権力を握り、世俗の将軍・王様や皇帝を命ずる立場だったり、教皇派と皇帝派が延々戦っていたりする時代があるとか、南北朝とか対立教皇のように複数の存在が立つこともある。
俗と聖の狭間を行ったり来たりする存在。バチカンが日本で異常に興味をもたれるのも、また批判的存在として扱われるのも、こうした構造が投影されているからかもしれないなどと邪推してしまいます。
ま、それはともかく、教皇も、天皇も、近代に中央集権化してしまいますね。中世のキリスト教会というのは、暗黒の中世といわれるほどにはキリスト教会は中央集権化はしていませんでした。各地ばらばら。その為に地方領主化したというか地方の領主が擁立した司祭や司教がいて、民衆を苦しめていたりもしますが、中央集権化はしていなかったようです。そういう傾向は神学史や典礼をみるとよく分かるのですが、中世神学や典礼の幅は広く、広がりがありましたが、近代は宗教改革啓蒙主義という二つに対する対抗言論から、酷く硬直したものとなっていきます。護教的と申しますか。つまらない。新しさに欠ける。そういう意味で激しく後ろ向きな印象がありますね。教皇は近代に「無謬性」の宣言がなされたりと、これは近代啓蒙主義への対抗措置でもあり、無謬が発動されるのは教義についてなんですが、宗教の軸ともなる教義の中心がはっきりするというのは結局、民衆のある種の不安の解消ともなる場合があるわけです。とりあえずローマカトリックという共同体はこういうことを信じてますよ。というのがはっきりするわけで。まぁ、これについては色々な点でよしあしもあるでしょう。おおらかさに欠けてしまったというのも一つの弊害です。
近代の日本の天皇制が、過去の天皇制に比べてあまりおおらかな状態でないのは、西洋列強への対抗として、やはり東洋の中心としての存在が欲しかったという大衆の希望があったからではなかったかとは思います。侵略の手をアジアに伸ばさんとする西洋の列強の存在は大衆にとって不安の種でしたから。だから頼れる中心となる存在は欲しかっただろうと想像できます。西洋で学んだ幕末から明治の改革期の人々が教皇を中心とする神の国を日本やアジアという土壌で再現したかったのかもしれません。
そういう意味では確かに「中心」という発想は近代の系譜にあるとは思いますが、なんとなく天皇家を取り巻く空間がどんどんおおらかでなくなっていく様はどうなんだろうか?とは思います。
なんとなくたらたらと書きましたが、しばらくこれについて考えてみよう。ということで、今日はメモ的に終わり。すみません。(とにかく、日本史に疎すぎてなぁ。考えがまとまらないよ)