すごいブルースマンが島に来た 新井英一ライブin与論

ええと、ガメさんが心配してくださっておりますが、今、実は島にいます。首都から島に帰ってきただ。つっても、すぐまた首都に帰るんだな。ガッコの行事休みを利用して帰ってきたのだ。
島のイタ飯屋の名物夫妻、歳さんとお慶さんの長年の友人である、ブルースマン、新井英一氏のライブの手伝いに帰ってきたんだな。
その為、忙しくってパソのアクセス出来ずにいたのでござる。他にもフランシスコ会のなんだかの800年記念のイベントに参加したりとか色々あったんだけどね。
つーわけで、皆様、御心配おかけしております。。。

新井英一氏は韓系日本人、御本人曰く「コリアンジャパニーズ」のブルースマン。「生まれて育てられた」日本という国と、親父が生まれた韓国という国という二つの郷を持つ新井氏はトム・ウェイツのような渋い声を以てソウルがこもった唄を唄う。日本でこげなすごい唄歌いさんがいたんだと驚かされるような方でございまして、この小さな島の小さなライブハウスでそんなお歌が聴けるなどというのは至福なので、もうお手伝というより、聞き逃してはならないと勇みに勇んで島帰りをしたのである。

まぁ手伝いってもライブ会場入口のチケット売り場でチケット売ったり、もいだりして突っ立ってただけでござる。

島外からも歳さんやお慶さんの友人が大量にやって来たので100人を超えるお客さんが集まるという島規模ではすごい大入りなライブ。盛況な中で終りましたです。いらしてくださった方々に感謝。

新井英一さんの曲ではこれが有名↓


さわりしかなくて済みません。

アルバムはこれ↓

清河(チョンハー)への道

清河(チョンハー)への道

このアルバム、レコード大賞アルバム賞を受賞したり、ニュース23のエンディングになったりした有名な曲ですが実は48番まである。新井英一が親父に捧げた唄で、親父が生まれた韓国は清河村までの旅路と新井英一自身の人生の物語という大河ドラマな詩が上質のブルースで切々と唄われているという、思わずなんか全部の物語聞かないと済まずにはいられないようなすごい曲なんだが、アルバム自体の構成も凝っていて素晴らしいんで、まぁ賞とっちゃうのは当然だという名盤である。ぶくまで[これはすごい]とつけたくなるような作品である。お勧め。買え。
今時に珍しい地に足のついた曲っつーか、父に捧げた長恨歌

この曲を生で聞けるってのはすごいことだったりする。
実は私は恥ずかしながら新井さんの曲を聴いた事が無かった。お名前は知っていたのだが、音楽に出不精で、昨今は昔聴いてた音楽ばかり聴く後ろ向きなことばかりしていたので、わたくしの保有CDはブリティッシュロックの懐メロが多い。時代はビートルズに始まりオアシスで止まっている。それより古い中世音楽ってのいもあるけどね。オアシスは最近兄弟喧嘩してどうかなってしまったらしいが、兄弟喧嘩はいつもの事だったんでどうなったんだろうか?

ま、そんなわけで、上記に偉そうにつらつら書いてるが、新井さんの曲を聞いたのは今日初めてだったのだ。

生「清河への道」はすごかった。完全にノックアウトされたのでライブ会場でアルバムを買って来て、ずっと聞きほれとりました。
新井さんと永らくコンビを組んでいるギタリストの高橋望氏のギターがこれまたすばらしくて、ええと、もう、なんというか言葉に出来ませんです。久しぶりにカコイイギターを聴いた気がしますよ。

『清河』の他にもオリジナル曲を沢山やってくれたのですが、新井英一の詩はどれも映像的で私のような視覚人間にはそういうものはどかんと来る。忌野清志朗の詩同様、とてもわたくしめの琴線に触れまくりますんで「古い映画のフィルムを見ているような気持ちになった」とお伝えしたら、「そうそう、そういう絵が浮かぶようなのがいいんだ。それは誰か、はっきりとした誰かのために書いてるからかもしれない。清河は親父に伝えたくて書いたし、孫にもそれぞれに書いた。母にも書いた唄もあるよ。」とおっしゃってた。
モノ造り的には大切なことを聞いた気がした。

そういう新井さんは絵に興味があるということで、絵が観たいというので明日家に来るとおっしゃっていたが、恥ずかしい。私の絵を見るより島をもっと見て欲しいと思ったので観光してくださいと申しあげました。民俗村とか行って欲しい。

絵なんで自分をさらけ出す仕事してる割に、実は絵を見られるのは恥ずかしかったりする。先日の展覧会でも色々な方に見ていただいて嬉しかったんですが、実は少々恥ずかしかったです。絵描きってのは厚顔無恥にならねばならんのにな、修業が足りんですな。そもそも上がり性なんですよ。

とはいえ、新井さんはライブの準備の為にほとんど島を見ておられないんで、とりあえずやっぱり明日は島観光したほうがいいと思うよ。部分的に触れて、すでに島を気に入っておられたようなのでもっと好きになって欲しいと思った。


因みに、今回の主催者である歳さんとお慶さんは25年前紋別にいて、かつてそこで新井氏のライブを企画した。今回、25年の年月を経て再び、北の果てから南の果てト地点を移してのライブとなったのだが、前回のライブは流氷が流れつく極寒の季節に行われ、その時、新井さんは『流氷の詩』を創ったそうだ。その詩は2番までしかなかったのだが「懐かしい紋別を思い出したんで、昨晩、3番を造った」と出来立てほやほやの詩を披露してくださった。紋別からずっと友人だった方が多数いらしていて、皆さん大層喜んでおられた。

こうやって集まる腐れ縁の友人がいるってのは羨ましいもんだな。引き篭もりで筆無精な私も見倣ったほうがいいかもなのだ。

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ところで映像貼ったらフリーズした。皆さんは島の脆弱な通信環境とは違うと思うんで、大丈夫っすよね?
今度かえってきた時は光になってると思うんでそれまで我慢だ・・・_| ̄|○