『ローマ亡き後の地中海世界』塩野七生 初読みはこれ

元旦の初読書はこれ。新年明けての初読み。

ローマ亡き後の地中海世界(上)

ローマ亡き後の地中海世界(上)

中世のなかなか語られない時代の歴史。隙間家具的な位置にあるこの時代を上下巻で書こうという塩野さんの野心的書物ですよ。

ローマ人の物語』が終了してしまって寂しいなと思っていたら、筆が止まらない病なのか快進撃はまだまだ続いていたんですな。『海の都の物語』との間の埋め草みたいな時代でもありますが、全部読んだらイタリアを中心とした地中海世界史には詳しくなれそうです。史学な人には突っ込みどころが満載といわれる塩野さんの本ですが、素人なわたくし的には俯瞰してみることが出来るんでよいです。

さて本書については今のところ半分ぐらいまで読んだ。さくさくと読めるのでもう少し大切に読もうと思ってるんだがそれでも一日で半分も進んでしまった。

塩野さんの特徴は、ローマ萌え、ヴェネチア海洋国萌え、ルネッサンス都市国家萌えという感じで、シューキョーは嫌い。へいわ〜などといってるような理想で飯が食えるかみたいな発想で、精神世界は嫌い。排他性を持つような一神教は氏ねといわんばかりに宗教的なるものには批判的である。なので宗教的なるものへのこき下ろし方はすごいんであるが、宗教的なもの同志が衝突していた時代をどう描いていくのかが見ものである。

最近、ニュースでアフリカ沿岸などに出没する「海賊」が問題になっているという話が多くなってきた。ソマリア沖の海賊については自衛隊派遣がらみでしばらく話題になっていたし、東南アジアの海域でも頻発する。
ローマ帝国という強力な国がなくなった空白時代の地中海はこの海賊が跳梁跋扈する時代へと代わったというのである。

前期中世。ローマ帝国が力を失った空隙に新興勢力のイスラムが台頭してくる。イスラムはかつてのローマ帝国に匹敵するほどの領土をアジア世界を中心に広げていくんであるが、西方ではかつてローマが支配した地中海沿岸をどんどんと征服しイベリア半島にまで及んだ。リビアチュニジア、そして今のスペインまでもがイスラム圏となり、アラブ史から見るならアラブ全盛の素晴らしい時代の幕開けです。
しかし、ローマの末裔である南方のイタリアなどを中心とする地中海世界キリスト教徒からするならすごく受難の季節。南からはイスラムの手勢であるサラセン人の海賊に脅かされているが、「ローマ」という強力な権力と軍隊がない時代の欧州はガリアの地は再び野蛮な王達の占めるところとなり、ロンゴバルト族がイタリア半島の人々を脅かしにやってくる。イタリア半島に住むキリスト教徒たちを庇護しなきゃいけないはずのビザンツの皇帝はこれまた東から押し寄せるイスラム勢との戦いで忙しい。四面楚歌である。

かように欧州の地は中心となる権力と力を持った存在がない第三世界状態だったわけですな。

地中海沿岸諸国はサラセンの海賊によっていいように略奪蹂躙。死か?さもなくば奴隷か?という選択しか残されていない。どうも「十字軍より解くないか?それって?」という光景の連続である。

同じ宗教のものは殺さぬというイスラムに改宗すればそれは免れることができる。という感じなのでどんどんイスラム化されていく。更に異教徒の主である教会や主導会は略奪のターゲットとなる。敵の大元締めである以上に、海賊として聖具に使われている金銀という旨みがあったからだが、侵略され殺されるほうは溜まったものではない。かくてローマには難民達が押し寄せる。

しかしサラセンの快進撃はとどまるところを知らず、ついにはローマにまで迫る勢いとなった。まったく往年のローマも情けない状態になったものです。

欧州において力ある皇帝は存在せず、唯一これらをまとめることが出来る影響力を持つものはローマ・カトリック教会であった。しかし宗教者は軍を持たない。ゆえに実行力はない。

ローマ教皇ビザンツへ救援の要請を出すが、ビザンツはお膝元が忙しい上に、ローマごとき辺境の教会まで面倒みる気はない。自分とこの教会をまもらにゃいかんし、西は西で西ローマ帝国があったでしょと他人事だったのかもしれないです。(つっても侵略されているのはビザンツ領でビザンツ皇帝はその領土と領民を守る義務があったんだが・・現実は前述の通り、手が回らん状態で仕方はなかった)神聖ローマ帝国なんぞ作っても、群雄割拠で内紛してた戦国時代状態の欧州では全然役立たずである。とにかくキリスト教圏は仲間の危機に際しても全然連帯してない。

かような状況があの十字軍を産んだり、或いはローマ教会を世俗的なことにおせっかいを出すような体質に変容させたんだなといささか苦笑した。

東方教会の人の一部に、よくローマカトリックでおきる諸問題に対しなにがしかを述べるときに「西は大変ですねぇ」などと他人事的な印象を与える枕詞をいう人が少なからずいる。それはこの時代からの伝統だったのかと微妙に苦笑。

概ね、そのあとに西に比して東はと続くのであるが、その批判のなかに、東から見ると西の教会は世俗的に過ぎるという指摘がある。まぁ確かに今の視点で見るなら尤もな批判ではある。わしもそう思う。などと思ったりする。聖域の空間に世俗意識が入り込みすぎているというか、なのでなんでこうなっちゃったんだろうね?と常に不可思議であったのだが、しかしこのような歴史の上に体質が変容していったとするならむべなるかなという印象で、この辺りはいささか目からうろこではあった。

庇護してくれる皇帝がいない過酷な時代を体験した西のローマ教会は現実的に生き延びる方法を考え続けなくてはならないというわけだった。既にローマにまでその驚異は及んでいる。一歩間違えば西欧州はイスラム化していたかもしれなかった。

一部例外の時代はシャルルマーニュの時代で、彼が乗り出して後しばらくは地中海は平和になったそうだが、なんせ既に爺さんだったので平和な時代は短く、死後はまたもとの木阿弥だったそうな。シャルルマーニュって偉大だったんだな。

・・・・というあたりまでが今日のおさらい。以後、十字軍ネタとか出てくるようです。

ところで、イスラム側はどうだったかというと面白いのが、アラブのイスラムとモーロ人やベルベル人といった北アフリカイスラム(サラセン)とでは意識に差があったというところ。アラブ人はこの快進撃を純粋に「聖戦」として捉え、イスラム教圏の拡大を目指していたのだが、サラセンにとっては飯の種であった。「聖戦」という口実「不信仰の犬どもは殺せ」という、それブッシュ君に思ってるでしょ?なことを口走りながら、とにかく略奪ビジネスを繰り返していた。それがサラセンの海賊。
北アフリカのサラセン人は農地を開拓したりという地味な産業を起す興味もなく、ただひたすら他人のものを奪うことで飯を食うという、なんだかすごく駄目な感じ。

それって今のアフリカで起きている多くの紛争にも見られる光景である。ソマリア沖の海賊もそうだし、シエラレオネの紛争の物語で読んだような、内戦の光景でも兵は村を焼き滅ぼして食料奪う。うーむ、アフリカ気質なのか???純然たる狩猟民族であると考えるべきなのか?

それ以外に、シチリアに見られる異教徒同士の共存。これはイスラム支配者とキリスト教徒であるシチリアの民の共存した光景であるが、イスラムの法では異教徒には重税が課すことが出来るのでイスラムに改宗されるより、そのままでいられたほうが旨みがある。なので2級市民として制限を持たせて改宗は迫らなかった。つまり今日でいう「イスラムの寛容」の実態はこうだったのだが、それでも改宗することなく生き延びることは出来た。
これは統治者としては実際的ではある。優秀なシチリア民族を生殺しにするほうが「使える」し、経済的にも有効である。サラセンは略奪しか能がないんで実は長い目で見るならば脆弱である。

更に後の時代にノルマン王がイスラム領主を追っ払ってくれたお陰で、キリスト教徒は二級市民の地位から脱することが出来、更に太っ腹なノルマンはイスラム教徒の共存を赦したので、イスラム教徒もキリスト教徒も平等なシチズンとして生活できる土地となった。
これが崩れるのが、フランスの進出と、スペインの台頭だった。支配者となったスペイン人(正確にはアラゴン)はイスラムなど異教徒は改宗するか、さもなくば死という、かつてのイスラムのごとき要求をする。このあたりもまた前述のアフリカ同様の問題を考えさせられる。(まぁ、イスラムに支配されていたスペインからすれば臥薪嘗胆だったからなぁ)

宗教的区分というよりも、個々の民族の特性の差異というのが透けて見えてくる印象がある。

おかしいというか笑えたのは、塩野さんが修道士の書いた資料について「坊さんだから戦闘について記録を書かない・・」みたいな文句垂れしてる辺りか。まぁ宗教者というのは本来「しゅのへいわ〜」とか言って役立たずでいたほうがいいんですから許してください。