『自壊する帝国』佐藤優 ソ連末期の相貌

rice_showerさんに「絶対読めっ!」と勧められている佐藤優。そのお勧めの『国家の罠』を読む前に買ってきてしまった『自壊する帝国』を上記の「師匠をお見舞いしたりしてみる旅」の間に読み終えた。わたくしは旅の初日は大抵眠れない。非日常的な行為である旅の初日は幼稚園児並みに興奮するので眠れんのだ。なもんで誰もいない空間で眠れん〜とじたばたするより、本読むのが建設的である。一晩寝れないので読み応えがあるのじゃないと持たない。
・・・というわけで、まったくもって、この本は旅の友に最適だった。rice_showeさんに感謝である。

自壊する帝国

自壊する帝国

なんというかわたくしはビジネス書はあまり読まない。そのうえ「国民の〜」とか「国家の〜」とか「〜の帝国」とかいうようなセンスないタイトルの本は敬遠してきた。それでも佐藤優の『国家の罠』は面白いよという評判は聞いてはいたが、センスないビジネス本的タイトルの性で忘れてしまっていた。

本屋に行ってみるとその本の代わりにこの『自壊する帝国』があった。「〜の帝国」というのは激しく昔に出た『大国の興亡』ポール・ケネディの焼き直しでないか?と思ってしまってついつい敬遠してしまう。例外としてバラードの『太陽の帝国』があるけど、小説だし。その上、ビジネス書的な「いかにも」なエディトリアルに萎え。rice_showerさんが薦めてくれなきゃ一生素通りしてしまったよ。

大宅荘一の賞かなんか取ったそうで、面白いかもしれないと思いつつも、はじめはそれほど期待もせずに読み始めたがこれがめっぽう面白い。何故面白いかというと、筆者の文書のテンポ、この手の本に珍しいフィクション的な語り口調が先ず読ませる。事実か、或いは多少の虚飾がどれほどかは解らないが、少なくとも彼が体験した主観世界のソビエト末期の政治世界に蠢く人間群像は、読む側を惹きつける。尋常じゃない人々が次々と書に描かれる舞台に登場し、飲んだくれ、語り、その関係性が次々と変容していく中でソビエトはどんどんと崩壊していく。刻々と迫るカタストロフィを前に生きてあがく人の息遣いが伝わってくる。

ソビエト連邦の崩壊は1991年の冬だった。それより2年前、ベルリンの壁が崩壊する前の最後の夏、シベリア鉄道に乗って「ソビエト連邦」を横切る旅をしたことがある。そのとき見た様々な光景は今も思い出す。ドストエフスキーが「実際的ではない」というロシア人のありえない光景。外貨ショップにはものが溢れ、大衆の店にはなにもない。行列するロシア人。モノがない生活。鉄道の食堂に積まれたちびたキャベツ、その食堂車のメニューは酷いものだった。「ニエット(ないよ)」という言葉を何度も聞く。外国人に擦り寄って物々交換を持ちかける人々。マルボロをはじめとする外国煙草、ウォークマン、使い捨てライター、ジーンズ・・・これらを持っているか?売ってくれ。交換してくれ。と寄って来るロシア人の多かったこと。監視されていることをなんとなく感じるような空気。「31アイスクリーム」やペプシコーラの人気。「マクドナルド」ができるかもしれないという期待。利することがあるかもしれぬとこそこそと近づいてくるアルメニア人と、懐と情けの深いロシア人のバブーシュカ(おばぁ)。風呂の栓がないゆえに湯を溜められぬ馬鹿でかいバスタブを今でも思い出す、ホテル・ナツォナーリ。このレーニンが定宿にしていたという伝統ある赤の広場にほど近いホテルでは、テレビのコンセントをつけっぱなしにするとテレビが爆発或いは炎上するから、見ないときは抜いといてくれという、注意書きがものすごく印象的だった。そのテレビに映るゴルバチョフは何事もないかのように党の主張を繰り返している。
バランスの悪い、バラードのSFのごとき不可思議な世界。

佐藤はこの同じ時に既にソビエトにいて、のちのソビエト崩壊へと到る時間を共にしていたのである。ほぼ同時代人というか2歳年上でしかない佐藤が・・つまり、まさか兄貴と同年齢と思わなかった。政治家と官僚とか役人とかお相撲さんと野球選手と芸能人はみんな年上な気がする。その中でも外交官ってのはかなり年上的。そう見えるのはやはり彼等の外交という場を取り巻く環境の苛烈さによるのかも知れないとは思った。こんな世界で生きていたら私などヘタレは一週間でストレスから胃に穴が開いたりしそうですよ。ウォッカ飲みも付き合えないしな。

とにかく、佐藤が人脈を作り上げていく方法のそのタフさ加減には驚く。なんか著者近影見るとごつい顔だが、精神もかなりごつそうだ。

更に佐藤が神学専攻だったというユニークな経歴ゆえの世界への切り込み方の面白さが、他の外交官にはないスキルとなっていたのだろうとは思う。政治外交といえど、やはり人と人との関係性であり、その信頼という武器の獲得に「神学」の知識が役立ったことは、彼が述懐する通りではある。まぁ、共産主義であれ、所詮、キリスト教の鬼っこというか、(資本主義もそうだけど)それ以上に、ロシア正教というロシアローカルな教派の持つ個性、つまりのちにムスリムに転向してしまう正教会の怪僧曰く「日本の神道が持つ習俗的なるものである宗教」への興味が示すような独特の宗教的土壌が東方教会には存在すると思う。故に、共通の、無意識の、ロゴスとならないようなある種のシンパシーが、佐藤と交流した多くのソ連を生きた人々との間にあったのかもしれない。さらっと神秘主義的な話が出てきたり、この辺りのロシア正教が絡むネタはかなり個人的に面白かった。そしてプーチンロシア正教徒だというびっくりがやっと腑に落ちた。
あと、崩壊しかかり、情報が錯綜する中で、ユダヤ陰謀論を知識人であるはずのロシア人がさらっと語るあたり、東西ヨーロッパの根の深い「ユダヤ人問題」を感ぜずにはいられない。いやはや「ユダヤフリーメーソンの陰謀」とか。ゴルバチョフの奥さんもエリツィンの奥さんもユダヤ人で、そのネットワークが云々・・・ってのはすごい。生ユダヤ陰謀論者を佐藤さんがたしなめているのが笑えた。
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ほんというと『国家の罠』を読むべく出かけた本屋で先にこれを買ったのは正解だった。ムネオ事件を取り巻く一連の事件の複線がここにあるとは思うが、彼のこの固有の動き方が外務省というお役所の官僚達にどう映っていたのか?その知識を得ながら鈴木宗男の事件の光景がよりわかるかもしれない。